FM OTSU ENGLISH HOUR」第40回「 Imagine – John Lennon」(3月16日放送)テキスト
第41回放送 Imagine – John Lennon
Imagine – John Lennon
Single by John Lennon
from the album Imagine
B-side It’s So Hard (US), Working Class Hero (UK)
Released
11 October 1971 (US), 24 October 1975 (UK)
Recorded May–July 1971
Genre Soft rock pop
Length 3:03
Label Apple
Songwriter(s) John Lennon, Yoko Ono
Producer(s) John Lennon, Yoko Ono, Phil Spector
■ポイント
「想像してごらん、みんなが世界のすべてを分かち合うことを」と1971年リリースされるも、その後の紛争、戦争、テロのたびに英米で放送禁止になり、クリスチャンには歌詞を変えて歌われ、それでも命をかけて歌われている John Lennon’s Imagine (ジョン・レノン、邦題 イマジン)をお聞きください。
“Imagine all the people sharing all the world”; Banned from airplay by the major broadcastings during the conflicts, wars and attacks, or sung with different lyrics later on after its release because of its controversial theme. Let’s listen to the lyrics sung by John Lennon for hope staking his life.
■キーフレーズ
Imagine ~
■キーフレーズの用例
Imagine there’s no heaven
想像してごらん、天国のない世界を
Imagine there’s no countries
想像してごらん、国境のない世界を
Imagine all the people living life in peace
想像してごらん、みんなが平和に暮らしていることを
Imagine no possessions
想像してごらん、所有や占領がない世界を
Imagine all the people sharing all the world
想像してごらん、みんなが世界のすべてを分かち合うことを
■歌詞
[Verse 1]
Imagine there’s no heaven
想像してごらん、天国のない世界を(注1)
It’s easy if you try
やってみれば簡単なこと(注2)
No hell below us
僕らの下には地獄はなくて
Above us, only sky
僕らの上にはただ空があるだけ
Imagine all the people living for today
想像してごらん、みんなが今日を生きていることを
Ah
ああ
Imagine there’s no countries
想像してごらん、国境のない世界を(注3)
It isn’t hard to do
難しいことではない(注4)
Nothing to kill or die for
葬るべき対象も、命を落とすべき理由もなく(注5)
And no religion too
宗教もまた、その対象でも理由でもない(注6)
Imagine all the people living life in peace
想像してごらん、みんなが平和に暮らしていることを
You
みんな(注7)
[Chorus]
You may say I’m a dreamer
空想にふけっているだけ、とみんなは言うかもしれない(注8)
But I’m not the only one
でも僕一人ではない
I hope some day you’ll join us
いつかみんなもその一人になってくれると思っている(注9)
And the world will be as one
そして世界は一つになる
[Verse 2]
Imagine no possessions
想像してごらん、所有や占領がない世界を(注10)
I wonder if you can
みんながそうしてくれるか、少し心配している(注11)
No need for greed or hunger
貪欲であることも飢えることも必要ない
A brotherhood of man
人はみな兄弟
Imagine all the people sharing all the world
想像してごらん、みんなが世界のすべてを分かち合うことを
You
みんな
[Chorus]
You may say I’m a dreamer
空想にふけっているだけ、と君たちは言うかもしれない
But I’m not the only one
でも僕一人ではない
I hope some day you’ll join us
いつか君たちもその一人になってくれると思っている
And the world will be as one
そして世界は一つになる
■補足説明
(注1)Imagine there’s no heaven
「天国」がないこととは、特定の宗教(キリスト教、イスラム教等)によらず、各個人が自身の信念に従って生きることを指している、と解釈しています。因みに「天国」が存在しない宗教も、世の中にはあるはずです。
(注2)It’s easy if you try
“It”は、直前の詞にある”to Imagine” と解釈してます。
(注3)Imagine there’s no countries
“no countries” は「国という概念が存在しない(世界)」と解釈しました。
(注4)It isn’t hard to do
“It”は、直前の詞にある”to Imagine” と解釈してます。
(注5)Nothing to kill or die for
“Nothing” は「葬るべき対象となるもの」または「そのために命を落とすべき理由となるもの」と解釈しています。
(注6)And no religion too
直前の詞にある “Nothing” の同じ位置に “no religion” があると解釈しています。したがって「葬るべき宗教」も「そのために自らの命を落とすべき宗教」も存在しない、と解釈しています。
(注7)You
“You” は、そばにいる「君」との訳あるかもしれませんが、以下の2つの理由で「聴衆みんな」と解釈しました。
・続く歌詞で、”I hope some day you’ll join us”, “I wonder if you can”と現時点では趣旨に賛同していない人を”You”と呼んでいること。
・紛争、戦争のさなかにある時代背景から、反戦を主旨にしていること。
・一般論としての身近な人だったとしても、オノ・ヨーコの信条からしても、そばにいる「君」を指しているとは考えられないこと。
(注8)You may say I’m a dreamer
この “You”も上述(注7)と同様に解釈しました。
(注9)I hope some day you’ll join us
この “You”も上述(注7)と同様に解釈しました。
(注10)Imagine no possessions
“possessions” には、「財産、富」という意味もありますが、ここでは、所有や占領という「行為」と解釈しました。
(注11)I wonder if you can
この “You”も上述(注7)と同様に解釈しました。したがって「少し心配している」を加えました。
■イマジンの歌詞について
ジョンは、ヨーコ・オノの詩集 Grapefruit(グレープフルーツ)から拝借したとのことです。ヨーコが第二次世界大戦時(6~9歳、小学生)を東京で過ごしたことが、その平和希求の歌詞に反映したのではないかもしれません。 発表当時、本曲の作詞者にヨーコの名はありませんでしたが、2017年6月に本作はヨーコとの共作と認定されています。
なお、元となったヨーコの詩集『グレープフルーツ』は曲が発表された年にイギリスで発行されています。
近年、曲の歌い出しである「天国は存在しない」の部分が葬儀にふさわしくないとして、イギリスの葬儀では使用が禁止されている、とのことです。
「宗教もない」については、死の直前のインタビューで「完全に自由な信仰」だとジョン・レノンは語ったとのことです。なお、アメリカ合衆国のキリスト教徒には “(Nothing to kill or die for) and no religion, too” の一節が嫌悪され、カバーの場合、節そのものが削除されたり、極端な場合では”no”が”one”に変えられたりすることがあるとのことです。2011-12年のニューヨークの新年カウントダウンイベントではシーロー・グリーンが当節を “and All religion’s true” に変えて歌い、賛否両論を受けたとのことです。
インタビューによれば、楽曲に権利を持つオノ・ヨーコは歌詞の改変を認めていないとのことです。
ジョンは完成当時「やっと(ポール・マッカートニーと共作の)イエスタデイみたいないい曲ができた」と喜んだとのことです。
■Grapefruit (グレープフルーツ)- ヨーコ・オノの詩集
『グレープフルーツ』は 1964年に東京で刊行され、超現実的で、禅問答にも通じる命令口調の言葉が並び、読み手の創造力の中で完成するというアート作品。以下のような詩が一部紹介されています。
CLOUD PIECE
Imagine the clouds dripping.
Dig a hole in your garden to
put them in.
— 1963 Spring
PAINTING TO EXIST ONLY WHEN IT’S COPIED OR PHOTOGRAPHED
Let people copy or photograph your paintings. Destroy the originals.
— 1964 Spring
PAINTING TO BE CONSTRUCTED IN YOUR HEAD
Go on transforming a square canvas
in your head until it becomes a
circle. Pick out any shape in the
process and pin up or place on the
canvas an object, a smell, a sound
or a colour that came to your mind
in association with the shape.
— 1962 Spring
Sogetsu[11]
SNOW PIECE
Think that snow is falling. Think that snow is falling
everywhere all the time. When you talk with a person, think
that snow is falling between you and on the person.
Stop conversing when you think the person is covered by snow.
— 1963[12]
TUNAFISH SANDWICH PIECE
Imagine one thousand suns in the
sky at the same time.
Let them shine for one hour.
Then, let them gradually melt
into the sky.
Make one tunafish sandwich and eat.
— 1964 Spring[13]
PAINTING TO BE STEPPED ON
Leave a piece of canvas or finished
painting on the floor or in the street.
■英国シングル曲「ボヘミアン・ラプソディ」に次ぐ人気
2002年にはギネスブックを発行しているギネス・ワールド・レコーズ社が31,000人以上から取った「英国史上最高のシングル曲は?」というアンケートの結果、「ボヘミアン・ラプソディ」に次ぐ第2位を獲得
The Queen song Bohemian Rhapsody was today named Britain’s favourite single. The song beat John Lennon’s Imagine to the top slot in a poll organised by the Guinness World Records British Hit Singles book. – Wed 8 May 2002, The Gurdian
■ヨーコ・オノ(小野洋子)
・1935~1937年
ヨーコは2歳のとき、父(ピアニストから銀行員に転じ、横浜正金(しょうきん)銀行のサンフランシスコ支店勤務)の暮らすサンフランシスコへ転居したが、2年後には母と日本へ帰国し、幼少期は安田家の鎌倉の別荘で暮らした。
・1938~1956年
自由学園(幼稚園)、学習院初等科へ通い、父の転勤に伴いニューヨークに転居し、ロングアイランドのパブリックスクールに通った。再び帰国後、啓明学園初等学校、青南小学校に編入、学習院女子中・高等科を経て、1952年に学習院大学の哲学科に入学。1953年、20歳のときに家族と共に父親の赴任先であるニューヨーク郊外のスカーズデールに移り住み、サラ・ローレンス大学に入学、音楽と詩を学ぶ。
・1966~1975年
1966年11月9日、ロンドンのインディカ・ギャラリーでの個展『未完成の絵画とオブジェ』の開催前日、訪れたレノンと会う。
1969年3月20日、ジブラルタルで結婚。米国では,「ミドルネーム方式」を選ぶことも可能で、オノはミドルネームに「オノ」を入れる形式を選んだ為、本名はヨーコ・オノ・レノンとなる。二人の息子も、ミドルネームに「オノ」を入れている。
1975年10月9日、レノンの35歳の誕生日にショーン・タロー・オノ・レノンが誕生。ショーン誕生後、二人は夫婦の役割を見直し、育児と家事をレノンが担当し、家計とビジネスをオノが担当した。
■政治、宗教では多くの議論
人類愛や平和を勧める歌として多くの人々に愛唱される一方、共産主義的思想であるという批判、紛争のラジオやテレビなどでは時に放送禁止、反戦歌のためフォークランド紛争(Falklands Conflict, 1982)や湾岸戦争(The Gulf War, 1990-1991)の時期のBBCによる放送規制、アメリカ同時多発テロ事件(The September 11 attacks, 2001)によるクリア・チャンネル社のメモ(2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件後、全米最多のラジオ局を所有するクリア・チャンネル・コミュニケーションズ社の「問題ある歌詞の楽曲」)にもリスト入りした。
Controversy “Imagine” was briefly banned from rado airplay by the BBC during the 1991 Gulf War because of its antiwar theme.- “The Beatles Encyclopedia” by Kenneth Womack
■マーク・チャップマン(Mark David Chapman、1955年5月10日 – )
・1955~1968年
父親はアメリカ空軍の3等軍曹だったがチャップマンが生まれてまもなく除隊し、石油会社アメリカン・オイルで働いた。母親は看護婦。7歳下の妹がいる。
父親は妻に暴力をふるい、それに怯える生活の中で、自分は寝室の壁の中に住む小人たちを支配する王であるという空想に浸るようになる。
運動はできなかったがIQは121あり、大人の目には、ロケットやUFOやビートルズが大好きな普通の子供に映っていた。
・1969~1976年
14歳のころから親に反抗的になり、ドラッグ、夜遊び多く、警察の世話になることもあったが、16歳のときに長老派の伝道師の説教会に行ったのをきっかけに人が変わったように真面目になり、聖書のリーフレットを配り歩き、学業も向上した。
YMCAのサマーキャンプで指導員を務めたときは子供から絶大な人気を得、優秀指導員の賞を受けるほどだった。
高校卒業後シカゴに移り、物まね芸をする友人と一緒に教会やクリスチャン向けのナイトスポットに出演し、ギターを担当したが、ほどなく故郷に戻り、YMCA職員としてアーカンソー州のベトナム難民再定住施設で働き、ここでも子供から人気を集めた。
その後、長老派系の大学へ通ったが、成績振るわず、自殺願望が芽生え、大学を退学、婚約者とも離別、警備員として働く。
・1977~1979年
1977年に自殺するためハワイへ向かったが、楽園で過ごすうちに生きる希望が生まれ、一度は故郷に戻ったが、両親と喧嘩して再びハワイへ飛んだ。浜辺で排ガス自殺を図ったが、日系人の猟師に見つかり一命を取り留め、神に救われたと感じた。
世界一周旅行の手配を通じて旅行代理店に勤めていた日系アメリカ人のグロリア・ヒロコ・アベと知り合った。グロリアには小さいころに患ったポリオのせいで足を引きずる障害があった。極東から東南アジア、ヨーロッパを回ってアトランタまで旅し、ハワイに戻って1979年にグロリアにプロポーズをした。
グロリアは彼のために仏教からキリスト教に改宗した。
・1980年
6月に結婚し、病院の印刷係として勤め始めたが、再び神経過敏になって周囲とうまくいかずクビになり、夜警になった。
強迫観念から過度な飲酒と病的な浪費が始まったかと思えば、一転して節約に夢中になったり、さまざまな衝動的で暴力的な異常行動が続き、想像上の小人も再び現れるようになった。
ジョン・レノンの伝記を読み、その金満生活に怒り狂い、レノン殺害計画を小人たちに話した。
10月23日に夜警を辞め、27日に銃を買い、30日にレノンの住むニューヨークに向けてホノルルを発った。
■射殺事件の概要
・1980年12月8日
当時ハワイ州ホノルルに在住していたチャップマンは、1980年12月8日の夜、ニューヨークのセントラル・パーク西側の72番通りにあるレノンの自宅であるダコタ・ハウスの前に到着した彼を射殺し、その場で逮捕された。オノ・ヨーコの請願などを受け収監期間が延長されている。釈放は早くとも2020年となる。
アパート前の草場の中で帰りを数時間待ち、レノン夫妻が帰宅すると背後から呼びかけた直後に拳銃を5発撃ち、内2, 3発が胸に命中した (他は肩) 。拳銃はハウスの警備員がすぐに駆けつけ蹴り飛ばされた。事件後チャップマンは現場から逃走しようともせず、警官が到着するまで現場をうろついたり、『ライ麦畑でつかまえて』を読んだりしていた。
ジョン・レノンの容態は急を要したため救急車を待たず、駆けつけたパトカーの後部シートに乗せられ、近くのルーズベルト病院に搬送されたが、出血多量による死亡が確認された。
チャップマンは第二級謀殺の罪で有罪と認定され、2019年現在ニューヨーク州バッファローの近くにあるWende Correctional Facilityに収監されている。
・2014年
2014年に妻のグロリア・ヒロコ・チャップマンに初インタビューしたイギリスの『デイリー・メール』誌によると、二人は年に一度44時間、刑務所内のキッチン付きトレーラーで過ごすことが許されているという。
グロリアはハワイに住む日系人女性で、犯行の1年半前に結婚し、事件後も離婚していない。夫婦でオノ・ヨーコに対し赦しを乞う手紙を書いており、レノンとチャップマンは天国で再会すると信じており、ポール・マッカートニーも刑務所を訪ねて現在のチャップマンに会えばきっと好きになるだろうと語ったという。
この件に関し、『デイリー・メール』誌は「心がかき乱される内容」と評し、マッカートニーも「私は誰でも許せる性質だと思うが、こいつだけは許す理由が見つからない。」と発言した模様。