FM OTSU ENGLISH HOUR」第39回「 Don’t Be Cruel – Elvis Presley」(12月24日放送)テキスト

第26回再放送 Don’t Be Cruel – Elvis Presley
Don’t Be Cruel – Elvis Presley
(邦題)冷たくしないで
Released July 13, 1956
Recorded July 2, 1956, RCA Victor Studios, New York City, New York
Genre Rock and roll, rockabilly
Length 2:04
Label RCA Victor
Songwriter(s) Otis Blackwell
Producer(s) Stephen H. Sholes, Elvis Presley
■ポイント
デビューの1956年に4百万枚、全米ヒットチャート2位の The King of Rock and Roll エリビス・プレスリー の真髄 Don’t Be Cruel(冷たくしないで」をお楽しみください。ビートルズ上陸の60年代に時の大統領ニクソンに「ビートルズが反米感情を煽っている、私が麻薬捜査官のバッジで対抗する」とバッジを所望した、とも伝えられています。
Enjoy the 6 million-sold “Don’t Be Cruel” by the King of Rock and Roll, Elvis Presley. He reportedly later met with the President and told him he thought the Beatles were encouraging anti-American sentiment, and that by giving him a Bureau of Narcotics and Dangerous Drugs Badge he could counter the movement.
■キーフレーズ
it’s ~ I’m ~ (of/on/about)
私が~している~
■キーフレーズの用例
Baby, it’s just you I’m thinking of.
僕が思っているのは君だけ
This is the issue I’m focusing on.
これが今注目している課題です。
She is the head of the client I’m talking to.
彼女が今(電話で)話しているクライアントのリーダーです。
It is the ice cream I’m crazy about.
これが私が今夢中になっているアイスクリームです。
It is your near future I’m concerned about.
心配なのはあなたの近い将来のことです。
■歌詞
[Verse 1]
You know I can be found
ほらわかるでしょ、僕のようすが(注1)
Sitting home all alone
家で一人で座っている
If you can’t come around
君が来れないなら
At least please telephone
せめて電話はしてくれ
Don’t be cruel to a heart that’s true
冷たくしないでくれ、真実の心に
[Verse 2]
Baby, if I made you mad
もし僕が君を怒らせてしまい
For something I might have said
その理由が僕が言った言葉だったとしたら
Please, let’s forget the past
どうか過去を忘れてほしいy
The future looks bright ahead
先にある未来は明るい
Don’t be cruel to a heart that’s true
冷たくしないでくれ、真実の心に
I don’t want no other love
君以外の愛はいらない
Baby it’s just you I’m thinking of
僕が思いを寄せているのは君だけなんだ
[Verse 3]
Don’t stop thinking of me
僕のことを考えるのをやめないでくれ
Don’t make me feel this way
僕にそんな風に感じさせないでくれ
Come on over here and love me
ここへ来て僕を愛してくれ
You know what I want you to say
ほらわかるでしょ、君に言ってほしいことを
Don’t be cruel to a heart that’s true
冷たくしないでくれ、真実の心に
Why should we be apart?
なぜ、僕たちは離れる必要がある?
I really love you baby, cross my heart
僕は本当に君を愛している、信じてほしい
[Verse 4]
Let’s walk up to the preacher
牧師のところへ行こう
And let us say I do
そして「はい、誓います」と言おう(注2)
Then you’ll know you’ll have me
そして僕は君のものになり
And I’ll know that I’ll have you
君は僕のものになる
Don’t be cruel to a heart that’s true
冷たくしないでくれ、真実の心に
I don’t want no other love
君以外の愛はいらない
Baby it’s just you I’m thinking of
僕が思いを寄せているのは君だけなんだ
[Verse 5]
Don’t be cruel to a heart that’s true
冷たくしないでくれ、真実の心に
Don’t be cruel to a heart that’s true
冷たくしないでくれ、真実の心に
I don’t want no other love
君以外の愛はいらない
Baby it’s just you I’m thinking of
僕が思いを寄せているのは君だけなんだ
■補足説明
(注1)be found
見つかる、存在する、その状態でいる
(注2)Yes I Do
結婚式で司式役の牧師が新郎、新婦に対する以下のような質問への回答を Yes I Do と言うこと、と解釈しています。
“Do you Priscilla Ann (Wagner) Beaulieu, take Elvis Aaron Presley to be your lawfully wedded husband, promising to love and cherish, through joy and sorrow, sickness and health, and whatever challenges you may face, for as long as you both shall live?”
■プリシラ・アン(ワグナー、ボーリュー)プレスリー
プリシラ・アン(ワグナー)ボーリュー(Priscilla Ann (Wagner) Beaulieu 1945年生まれ)は1959年14歳で、その米国軍人父親の任務地ドイツ・バート・ナウハイム(Bad Nauheim)で、1958年から2年間の兵役中24歳のエルヴィスと知り合い、帰国後学業収め、両親の理解を得て1967年22歳でラスベガス・アラジンホテルで結婚、そのぴったり9か月後の1968年唯一の子ども Lisa Marie(現在シンガーソングライター)を授かった。その5年後1973年離婚。
現在は、プリシラ・アン・プレスリー(Priscilla Ann Presley 74歳)として女優、実業家として活躍中。
■オーティス・ブラックウェル(Otis Blackwell)最初のプレスリー曲
エルヴィスの楽曲を管理する音楽出版社ヒル・アンド・レンジから最初に持ち込まれた作品。作詞作曲は、その後エルビスに数曲を影響しているオーティス・ブラックウェル(Otis Blackwell)。「恋にしびれて」「心の届かぬラヴ・レター」「破れたハートを売り物に(One Broken Heart for Sale)」などの作者としても知られるオーティス・ブラックウェル。
1956年7月13日、「ハウンド・ドッグ」と両A面扱いで発売されました。ビルボードのポップ・チャート、R&Bチャート、カントリー・チャート、いずれも1位を記録。また、ビルボードの1956年の年間チャートの2位を記録し(1位は「ハートブレイク・ホテル」)、プラチナディスクに輝いた。
■作曲家 Otis Blackwell 回心のヒット「ロイヤルティ半分でも、なにもないよりまし」
1956年に決して有名とは言えなかった作曲家オーティス・ブラックウェル(Otis Blackwell)が1曲25ドルで出版社に売った6曲の内の一曲。プレスリーが甚(いた)く気に入ったこのDon’t Be Cruel のプレスリーのマネージャーから提案の契約は、収益の半分を共同作曲家としてのプレスリーに支払う、と言う内容。作曲家ブラックウェルは「半分だなんてとんでもない!」と拒否しようとするも友人に「半分でも、なにもないよりまし」と説得されて応諾。
“Half of something was better than all of nothing.”
■出版社オーナー Freddy Bienstock「プレスリー希望の歌詞にしていたら1956年ヒットチャート2位のヒットにはならなかった」
一方、25ドルと破格の安値で買い取った出版社ザ・ブリル・ビルディング(The Brill Building;「すごいことを作り上げること」との意の模様)のオーナー フレディ・ビエンシュトック(Freddy Bienstock)は、さらに興味深い発言。曰く:
プレスリーは実は歌詞が気に入らず、数行の差し込み(Cut-in)どころか、大半を書き替えたかった。仮にその結果出来上がった曲をプレスリーが歌っていたとしたら、レコードの売り上げは100万枚にとどまりヒットチャートでも3位に甘んじていたことだろう。(その年のビルボードトップ20も参照ください。)
Elvis would show dissatisfaction with some lines and he would make alterations, so it wasn’t just what is known as a ‘cut-in’. His name did not appear after the first year. but if Elvis liked the song, the writers would be offered a guaran tee of a million records and they would surrender a third of their royalties to Elvis’.
■ビルボード1956年トップ20 Billboard year-end top 20 singles of 1956
1 “Heartbreak Hotel” Elvis Presley
2 “Don’t Be Cruel” Elvis Presley
3 “Lisbon Antigua” Nelson Riddle
4 “My Prayer” The Platters
5 “The Wayward Wind” Gogi Grant
6 “The Poor People of Paris” Les Baxter
7 “Que Sera, Sera (Whatever Will Be, Will Be)” Doris Day
8 “Hound Dog” Elvis Presley
9 “Memories Are Made of This” Dean Martin
10 “(The) Rock and Roll Waltz” Kay Starr
11 “Moonglow and Theme from Picnic” Morris Stoloff
12 “The Great Pretender” The Platters
13 “I Almost Lost My Mind” Pat Boone
14 “I Want You, I Need You, I Love You” Elvis Presley
15 “Love Me Tender” Elvis Presley
16 “Hot Diggity (Dog Ziggity Boom)” Perry Como
17 “Canadian Sunset” Eddie Heywood & Hugo Winterhalter
18 “Blue Suede Shoes” Carl Perkins
19 “Green Door” Jim Lowe
20 “No, Not Much” The Four Lads
■1956年で4百万枚超、1961年までに6百万枚超売上
1956年7月13日リリース後数週間でダブルA面曲”Hound Dog”がチャート2位でレコード売上100万枚超に。しかしその後”Don’t Be Cruel” は11週間にわたり1位に。
1956年で4百万枚超、1961年までに6百万枚超売上。その後も別な曲とのカップリングで売り上げを伸ばした。
“Don’t Be Cruel” went on to become Presley’s biggest selling single recorded in 1956, with sales over six million by 1961.It became a regular feature of his live sets until his death in 1977, and was often coupled with “Jailhouse Rock” or “(Let Me Be Your) Teddy Bear” during performances from 1969
■Covered By
1958年 ジェリー・リー・ルイス 『Jerry Lee Lewis』
1959年 コニー・フランシス 『Rock ‘n’ Roll Million Sellers』
1960年 ビル・ブラックズ・コンボ シングル。全米11位
1962年 パティ・ペイジ 『Patti Sings Golden Hits of the Boys』
1963年 パット・ブーン 『Pat Boone Sings Guess Who?』
1964年 プラターズ 『10th Anniversary Album』
1969年 ディラード&クラーク シングル
1970年 アルバート・キング 『Blues for Elvis – King Does the King’s Things』
1971年 ジョディ・ミラー 『He’s So Fine』
1974年 ビリー・スワン 『I Can Help』
1974年 アルヴィン・リー 『In Flight』
1976年 あがた森魚 『日本少年』。日本語詞をつけて「つめたく冷して」というタイトルでカバー。
1977年 オーティス・ブラックウェル 『These Are My Songs!』
1977年 マール・ハガード 『My Farewell to Elvis』
1987年 ザ・ジャッズ シングル
1988年 チープ・トリック 『永遠の愛の炎』。シングルカットされ全米4位。
1988年 ディーヴォ 『トータル・ディーヴォ』
1994年 アル・クーパー 『Rekooperation』[6]
1994年 デボラ・ハリー 『Brace Yourself! A Tribute to Otis Blackwell』
2001年 ブライアン・フェリー 『Good Rockin’ Tonight – The Legacy Of Sun Records』
2006年 キース・エマーソン 『Off the Shelf』
2007年 細野晴臣 『Harry Hosono/Crown Years 1974-1977』。1976年5月8日の中華街ライブ音源。
2007年 一十三十一 シングル
2012年 ホセ・フェリシアーノ 『The King』
■プレスリーについて信じられない8つの事実
8 Elvis Presley Facts So Crazy You Might Not Believe Them
#8 双子の兄がいた
#8 Elvis Had An Identical Twin
エルビス(Elvis Aron (later spelled Aaron) Presley)は1935年1月8日生まれ。その35分前に双子の兄 Jesse Garon Presley が死産されている。エルビスは双子の兄と文字を共有して長らくミドルネームをAron としていた。その後本来のAaron にした。
#7 空手黒帯だった
#7 Elvis Was a Black Belt in Karate
松濤館で学び、1958年兵役の際に、千唐(ちとう)流の黒帯が与えられた。
#6 米国とカナダ以外で歌ったことはない
#6 Elvis Never Performed Outside of The USA or Canada
ドイツから米国行きの飛行機が英国の空港に給油のため着陸した際に、英国の土に一度足を踏み入れた。 エルビスは軍用機に再び乗る前の2時間の英国を楽しんだ。
#5 エルビスはアブラハム・リンカーンとジミー・カーターの親戚
#5 Elvis Was Related to Abraham Lincoln and Jimmy Carter
エルビスは、ジミー・カーター元大統領の遠い従兄弟、エイブラハム・リンカーンの曽祖父イザヤ・ハリソンの直接の子孫。
#4 エルビスは曲を書いたことがない
#4 Elvis Never Wrote a Single Song
エルヴィスは600曲以上を録音しましたが、1曲も書きませんでした。未確認ではありますが、プレスリーが録音する前にはレーベルがクレジットの50%を放棄することを作曲家に求めたため(この曲Don’t Be Cruel の作曲家Otis Blackwell へも然り)、プレスリーは多くの曲の共作クレジットco-writing creditだけは持っています。
#3 Elvis Got a Bureau of Narcotics and Dangerous Drugs Badge from Nixon
当時のリチャードニクソン大統領がエルビスに麻薬取締官のバッジを贈ったとのことです。 全国の名誉警察バッジをコレクションにしているエルビスは、ホワイトハウスに手書きの手紙を送り、大統領に会って、ビートルズが反米感情を煽動しており、バッジを与えることで運動に対抗できると考えていることを伝えたとのことです。 エルヴィスはバッジのお礼にニクソンに第二次世界大戦時代の拳銃を渡しましたが、セキュリティをどう切り抜けてホワイトハウスに持ち込んだのかは不明とのことです。
#2 2年間同じものを食べ続けたことがある
#2 Elvis Once Ate The Same Meal For Two Years Straight
キャリアの後半に肥満の問題を抱えていた前でさえ、プレスリーの食欲は凄まじく、20代の時に、カントリーソング・ラウンドアップ・マガジンに、豪華なチーズバーガー8つ、ベーコン・レタス・トマトのサンドイッチ2つ、ミルクセーキ3杯を一度に食べたと語っています。エルヴィスは、ミートローフ、トマト、マッシュポテト以外は何も食べなかった時期もありました。
#1 リムジンの運転手にそのリムジンをチップとして渡した
#1 Elvis Once Tipped His Limo Driver The Limo
ラリー・キングは、エルヴィスのマネージャーのカーネル・パーカーの話を自らのショーで語ったことがあります。 ヘリポートと公演会場の送り迎えのリムジンドライバーに「このリムジンは貴方のものか、会社のものか」と尋ね、ドライバーは会社の従業員、リムジンは会社所有と分かると、,“you now own it” と言ってそのリムジンをチップとしてドライバーに渡した、とのことです。
https://playback.fm/trivia/crazy-elvis-facts
Jun&Keiko@FM Otsu Tamagami Studio
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
※FMおおつ 周波数79.1MHzでお楽しみください。
※FMプラプラ(https://fmplapla.com/fmotsu/)なら全国でお楽しみいただけます。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★